熊本ボランティアの報告

阿蘇のボランティア 2016年11月22日〜23日

 火曜日に幼稚園の募金で買った支援物資を持って阿蘇に行きました。熊本大地震があってから今回が4回目です。地震直後、4月に運んだのは、お米・水などの食料品、続いては避難所で使う寝るときのマットやカセットコンロ、3回目は片付けで使う雨具・長靴・グローブなどでした。それから半年経って今回は、仮設住宅の集会所で団欒に使うコーヒーやお菓子、寒さ対策のカイロなどを運びました。支援物資には、園児さんのお祈りと可愛い応援の写真を添えてお渡ししてきました。
 水曜日のボランティアは、地震の片付け(5月に吉岡治さんとした解体作業)を予測してましたが、10月の阿蘇山の噴火で降り積もった灰を取り除く作業でした。いちご園(阿蘇市一の宮町 12アール)を経営される岡田留里子(JAの幹部でメディアからも取材を受けられてます)さんは、4月の地震で自宅が半壊しました。その時、いちごは実ってましたが、道路が分断され、出荷ができませんでした。近所の人とは「今回の地震で悔しい思いをした。でも地震があったのに阿蘇山が静かなのは不思議だね」と言い合っていたら、半年遅れで噴火しました。灰は場所によって、高温でヘドロ状に降った地域もあれば、軽石として降った場所もあります。「噴火が深夜だったので子供たちに被害が出なくてよかった。昼間だったらけが人が続出していた」と言われてました。噴火は、いちごの苗が順調に生育して、ビニールハウスの屋根をかけようとしていた矢先でした。すぐに灰を水で洗い流そうとしましたが、酸性で熱を持っていたので葉にへばりつき苗は枯れていきました。ほとんどがダメになってしまいました。でも、「中には新芽が出てくるのもあるのでは?」と期待して、手入れを続けています。11月に入り無事だった農家は出荷を始めましたが、岡田さんは新芽を待つ状態です。もどかしい思いを抱きながら「2月に出荷できれば!」と期待を込めています。

 ボランティアで私がしたのは、ビニールハウス内に残っている灰の除去です。ハウス内に灰があると出荷時に灰が混じる可能性があるので、灰を取り除く地道な作業でした。火山灰がへばり付いている棚や通路の灰をブラシで落とし、箒でちりとりに集め袋に入れます。すぐに袋は重くなります。ずしりと重い袋の感覚が被害を受けた農家のシンボルとしてからだに残っています。このビニールハウスに降った灰だけでも1.4トンにもなっています。
 私は、岡田さんの態度から2つのことを学びました。1つ目は、「別の場所ならこんなに苦労しなくて済むのに・・・場所が悪かったんじゃない?」と私は思ってしまいました。でも岡田さんはそう考えてはいませんでした。「火山の噴火は、人間のくしゃみのよう。もどかしいけど恩恵も受けてきた。災害のおかげで会えなかった人とも会えてる。人に励まされてる。諦めず、3度目は必ず甘いイチゴを作る」と言われてました。
 2つ目は、育てたら必ず収穫があるわけではないことも学びました。神父や園長をしていても期待していた成果が出ないことがあります。ぼやきたくなるときに、岡田さんのことを思い出そうと思います。災害で何度も収穫が出来なくても、期待を込めて苗を育てる。その心を学びたいです。
 神様は私たちにも「受け入れる心」「期待を持って苗を植え続ける心」を求めておられるのではないでしょうか?


2016年5月28〜29日  柴田神父

 土日を利用して熊本を訪問してきました。また、あいにくの雨になってしまいましたが、無事に奉仕し帰ってくることができました。皆様のお祈りに感謝です。今回の目的は、支援物資(カリタス福岡 熊本支援センターの要望品:長靴・救急セット・傘・踏み抜き防止インソール・ゴムグローブ・携帯蚊よけなど)を届けることと現地でボランティアをすることでした。九州自動車道の益城熊本空港インターチェンジを降りると広い駐車場とテントに座っているたくさんの人たちが目に入りました。このグランメッセ熊本では、り災証明書を発行されています。周南に帰ってから、予告開始時間前に着いたにもかかわらず「出直せ」と追い返された記事を見つけました(5月30日毎日新聞朝刊)。あの日雨の中、苦労して訪れたのに追い返されてしまった人がたくさんいたことを思うと心が痛みました。走行中に2箇所、仮設住宅の建設現場を見ましたがいつ避難者全員が移転できるか考えました。
インターを降りて4月20日に支援物資を届けた益城町運動公園総合体育館を訪れました。体育館には前回の半分、それでも600名が避難生活をされています。前回は、自衛隊の姿がたくさん見られましたがもう撤収されていました。前回はなかった、洗濯コーナーやテントの中での風呂、医師の相談所ができ、設備が少しずつ整っている印象でした。前回は、廊下にも所狭しとダンボールで寝床が作られていましたが、今回は通路で寝ている方は少なくなっていました。けれども、廊下に置かれた畳マットに「入居予定」と張り紙がありました。避難者は主に、トレーニングルームなどに、つい立などで簡単に仕切られた空間で生活されてます。2階の廊下は、蒸し暑く、これからの季節、寝苦しくなることが予想されました。また、パンとおにぎりが毎食1つずつ配給されていますが、同じ食べ物を長期間食べ続けて健康に影響がないか?心配になりました。けれども80代後半の方が、「毎日同じでも食べ物がいただけるだけありがたいです」と言われた言葉が心に残りました。保健師さんが、体育館内を巡回して健康状態を確認していました。
体育館の外には、車中泊の車と、登山家が寄贈された180体のテント村、個人で張られたテントで暮らしている方たちが数百名おられました。テント村は、「雨と暑さを考えると継続は好ましくない」と町が判断し撤収されると新聞にありましたが(5月30日朝日新聞 朝刊)、また車中泊に戻ってしまう人もいるそうです。
カリタスのベースに宿泊し、翌日はボランティアをしました。益城町の社会福祉協議会主催のボランティアをするつもりで現地に向かいましたが、雨のため一般ボランティアは中止になっていました。そこで予定を変更して、熊本市内の信者さんの御宅の片付けを手伝いました。その方は、地震のあと娘さんのマンションに身を寄せたり車中泊をして過ごしていました。看護大学の学生さんたちと1日作業をしました。ご高齢のご主人お一人では到底片付かない量の家財道具・ゴミなどを庭に運び出しました。山口から参加の瀬川さんの奥様は、西原村福祉避難所で奉仕されました。午前中はお部屋・トイレの掃除をし、午後は傾聴でした。福祉避難所は、ご高齢者と肢体が不自由な方の避難所ですが、近くには一般の避難所もありました。福祉避難所は、人の面でも物資の面でも優遇されているためか、一般の避難所の方と格差がつき関係がギクシャクしていることを聞きました。早い段階で、一緒に活動するなど関係が疎遠にならない工夫が必要で、カリタスのベースにコミュニティづくりの期待がかかっているそうです。けれども、スタッフが不足していて、なかなか期待に応えていくのは難しい印象でした。
2日間と短い活動でしたが、現地に行って不自由で不安な生活をされている方がまだまだたくさんおられることを肌で感じることができました。また、機会を作ってお手伝いしたいです。


2016年5月9日・10日

 5月9日、吉岡治さんと柴田神父は熊本ボランティアに出かけました。雨交じりの中、交代で運転をしましたが、阿蘇YMCAボランティアキャンプ場に向かう前に、吉岡さんの仕事仲間に阿蘇くまもと空港でお会いしました。ご友人は「一度目の地震が本震と思ってしまった。前震の後せっかく補修した家が壊れてしまった時には心が折れた。サーチライトを使って、一階の母親を見つけ助け出すことができたのは良かった。何軒かが使っている道路は私道で、復旧には四千万円かかるが行政は何もしてくれない。いろいろなところに呼びかけて資金を募りたい。大変な時に自治会長になってしまったけれど、地域の人と深く関わるチャンスかもしれないと思って頑張ります」と言われてました。
 ボランティアに行くと、現地で様々の方にお会いできますが、今回はブラジルからの10名のグループと一緒でした。宣教の拠点は神奈川県ですが、ここでも避難所の集会所や小学校を訪れて励ましていました。リーダーのポールさんは「誰の心にもイエス様が宿っている。きっかけを作ったら、心の中のイエス様が動き始める。若者のボランティアはいいきっかけになります。」と言われてました。どの宗派でも召命が少ないですが、ボランティアがいい機会になることを教えてもらいました。
 5月10日の作業は、倒壊したお宅の解体作業の手伝いでした。具体的には、重機で解体した後、木材と金属を分ける仕事です。手作業で、木枠とサッシ、木材とトタン板を固定していた釘を抜きました。治さんは、手慣れた手つきでどんどん釘を抜いていきます。雨で足場も緩んでいましたが、地に足をつけて釘を抜き続ける姿は素晴らしかったです。燃えるものと燃えないごみが分けられていたら、災害ゴミとして引き取ってくれるそうですが、仕分けは手間がかかり、プロにお願いすると高いお金が必要になります。その点、ボランティアが来てくれるととても助かるそうです。現地には、まだまだ倒壊したままのお宅がたくさんあります。行政が解体と片付けをしてくれると期待している方も多いそうですが、してはくれないのでボランティアのニーズがあります。午前中の作業の途中、大雨警報が出たため、午後はキャンプ場の側溝のどぶさらいを二人でしました。泥や落ち葉がだいぶ溜まっていましたが、綺麗になりました。ナビを頼って帰ろうとしましたが、大雨の影響からか指示された道は通行止めで、別のルートを使いました。地震と大雨で山が緩んで土砂崩れが起きやすいのでしょう。至る所で通行止めがあり復興の足を引っ張っているように感じました。帰りの運転も交代でして、無事帰ってくることができました。お祈りくださった皆様に感謝申し上げます。これからも熊本のことを気にかけ、できることをしていきましょう。(吉岡治、柴田神父)


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