東北ボランティアの報告

2019年 冬季 福島・宮城・岩手ボランティア体験記   (2019/9/1更新)New
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2019年 夏季 福島ボランティア体験記   (2019/9/1更新)
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2018年 冬季 福島ボランティア体験記   (2019/2/1更新)   

2018年 夏季 福島ボランティア体験記   (2018/9/22更新)
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2017年 冬季 福島ボランティア体験記   (2018/2/3更新)
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2017年 夏季 大槌町ボランティア体験記  (2017/9/16更新)
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2017年 春季 福島ボランティア体験記    (2017/5/3更新)

2016年 夏季 東北ボランティアの体験記   (2016/10/16更新)

2016年8月4〜5日 原町ベースでのボランティア 柴田神父

私がボランティアをする意味

2012年の8月(原町ベース開設の頃)以来、年に1〜2度、2つ日間くらいボランティアしてきた。

・最初の頃は、社会福祉協議会のボランティアセンターに80名くらい集まっていたが、4日は12名で寂しい気もする。人々の関心が薄まってきた? 最初の時は、「ここで作業して大丈夫なんだろうか? 埃は吸わない方がいい。水道水も飲まない方がいい?」とか色々心配していたのを思い出す。

・避難が解除され水道・電気は使えるようになってる。トイレも借りられるようになったし、ジュースなどの差し入れもくださる。

・事故から5年5ヶ月・・・その間の葛藤、悔しさ・・・。表現し尽くすことも、お金に換算することもできないはず。汗をかきながらそのことを思い巡らす。体験に刻む

・大したことはできてない・・・1日でどれだけ片付くのか? でも精一杯のことをしてる。神様は隠れたところを見ておられる。小さなことにも大きな意味を与えてくださる

・37度の猛暑の中の作業。10分に一度、水分を補給しながら・・・「あと何時間?」「次の休暇はいつ?」 体力と相談しながら・・・ペース配分考えながら・・・。除染作業員の大変さを思う。(暑いのに作業員はマスクをしている。他にも様々な決まりを守って仕事に従事しているのだろう) 大変さを体に刻める。

20116月、初めて宮城県の塩釜でボランティアを思い出しながら・・・刻まれた体験を思い出す。あの時も、1日に2〜3リットルの汗をかいた。熱中症にならないように、怪我をしないように・・・せめて自分にできることを精一杯したい、と思ってやってた。全国から集まったボランティアさんに刺激をもらった。

・こうして健康に働けること、時間を与えてくださったこと、留守を預かってくださっている方に感謝。働いた後、銭湯でひと風呂浴びると生き返る。

・「シスター方への黙想会の前に、1日半ボランティアできる!」と思い立ち、実現できたことに感謝。

・汗を流して他のボランティアさんと一緒に働く。信仰の仲間、善意の仲間、気持ちが通じる。普段は距離が離れていても心は通じてる。

・ベースのシスター方は、私が来るのを楽しみにしていたそうだ。「今度は、徳山教会の人たちを連れてきてくださいね」 (イエズス会の若い神父・神学生、高円寺教会の信者さんを連れてきたことがあった)

ベース長のシスター畠中さん

・さゆり幼稚園の件。昨年末には49名だった園児数が今は80名になった。。原町ベースがテコ入れしてきた成果(バスの送迎・預かり保育をボランティアでしている)。南相馬の幼稚園はどこの幼稚園も定員に満たないのに・・・この幼稚園だけは定員以上集まっている。神様の摂理を感じる。

・課題は、先生の確保。どこも苦労していて、先生が集まらない。うちも手薄になってる。このままだと頭打ちになる。南相馬市は、先生確保のために家賃補助をしているが・・・月給が高くはないし、放射能への心配もネックか? 「どなたか良い先生いらしたら紹介して欲しい。できれば私が園長になってきて欲しい」とまで言われていた。

・園児数が70名超えると学校法人に移れる。ドミニコ会が経営から撤退する来年3月までに学校法人への申請をする予定。しかし、しっかりした経営母体が見つかってない。どこも「協力をします」とは言われるが・・・

・原発から一番近いカトリックの幼稚園を守りたい。信者さんの先生はいないけど・・・預かり保育の時間にお祈りとか教える。

・今朝の修道院でのミサ、説教(バングラディシュで亡くなられた田中さんのお話)もありがとうございました、と言われていた。

現地の状況

・視察をしたわけではないのであまりつかめてないが・・・昨年末視察した状況と大きくは変わりない?

JR小高駅は、本数は少ないが再開していた。

6月末までに申請した方は、家屋の解体を政府が負担する、ということで古い家屋が少なくなり、新築のお宅もよく目にした。

・今回した、草刈り・家屋に残っているものの処分などの依頼は多い。3ヶ月待ちの状態。

・避難が解除されて戻った方は、2割程度? 喜んで戻った方はどれくらいだろう? 年齢層は?

・避難を解除させた政府の思惑は? 保証金の打ち切りと抱き合わせになってないか?

・事故後、5年5ヶ月の間に、避難先で生活が出来上がった人たちは、また南相馬に戻って生活を築き上げる気にはなりにくい。仕事・学校・医療・買い物・地域のコミュニティ・・・先行きを考える。除染したら戻れる、というものではない。

・福島⇨南相馬の高速バスで見る、飯館村の除染の様子。いくらお金を使い人力を投入しても、とても除染しきれるわけではない。広大な範囲に放射能が飛散し蓄積している。

・飯館村も来年3月に避難指示が解除されることに・・。でも戻って仕事があるのか? 農作業・家畜では成り立たない。生計が成り立たないところに戻れるのか? 

NHKの夜7時のニュースの直前、天気予報に続いて放射線測定値・海水放射能観測データが放送されている。福島県以外でこのことを知っている人は少ないだろう。日々の生活に放射能は切り離せてはいない。重い傷跡を今も残している。



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